覚王山-日泰寺周辺

覚王山日泰寺周辺地図

覚王山日泰寺

 タイの皇帝から贈られた釈迦の遺骨を奉安するのに明治三七年(1904)に創建された。 どの宗派にも属さない国際的な単立寺院。
 今、境内に五重塔を建築中、平成9年3月竣工予定。

鉈薬師

 寛文九年(1669)明の国の帰化人張振甫が、もと上野村陽光院 (現千種区上野-永光院) にあった薬師堂を移したもので、医王堂ともいわれる。
 堂内には像高1.2メートルの本尊薬師仏のほか、鉈彫りで有名な円空(江戸時代初期の僧)作と 伝えられる脇侍の日光・月光の二菩薩、十二神将像が安置してある。
 境内に、画人中林竹洞や山本梅逸らの碑がある。

東山配水塔

 今は使用されていませんが、少し前まで上野浄水場から名古屋の水道水がここにあげられ 市内の各家庭に配水されていた。  春から夏には塔が蔦に覆われて緑の塔に変身する。年に3回ほど開放されて、 名古屋の水道の歴史が展示されている。

奉安塔

 釈迦の遺骨が奉安されている。

宝亀山相応寺

 寛栄二十年(1650)尾張藩祖徳川義直が、母相応院おかめの方の菩提のため建立した。
 慶安三年(1650)義直の遺体を当寺に安置して供養し、のち定光寺に葬った。
 寺宝には、開山眼誉上人木像、浄土三部教、山門額と本堂の額は義直の直筆で、 本堂は寛栄二十年創建当時のものである。 この寺は東区山口町にあったが、昭和の初めにこの地に移された。

城山八幡宮(末森城址)

 天文十七年(1548)織田信秀はこの地に城を築き、古渡城から移った。守山城を守る 弟信光と連携して、三河の今川方に対する備えのためであった。翌年三月、信秀はこの 城で病死し、 三男信行が城主となったが、兄信長に執って変わらんと企て、稲生原の合戦を 起こして敗れ、 弘治三年(1557)清洲城で謀殺され、翌年永禄元年(1558)廃城となる。
 応神天皇をはじめとする8柱を祭神とし、殖産興業・交通安全・安産守護の氏神として 古くから土地の人々の信仰を集めている。
 昭和九年城山八幡宮が建立された。 境内の北西の森の中にアベマキとしては、市内最大樹がある。 幹は地上3メートルで双幹に分かれ5メートルのところで再び合一しており連理木となっている。
 地上5.5メートルの大枝に分かれるところには、ネズミモチが自生しておる。
 この神社からは名古屋の街が一望のもとに眺めることができ、特に夜景は素晴らしい。 穴場のスポットの1つである。

泉龍山桃巌寺

 天文年間(1532〜1555)末盛城主織田信行が、父信秀の菩提を弔うため末森村二本松 (今の穂波町付近)に創建、恵心僧都作の聖観世音菩薩を本尊とし、弁財天画像を守護神として祀る。
 桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」からとられている。この地へは、 正徳四年(1714)に移された。
 裏庭と東庭に、その昔竹生嶋から弁財天と共に贈られた珍しいシホウチク(別名角竹)の群生がある。
 最近、名古屋大仏が建立された。