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京都府宮津市成相寺339 本尊・聖観世音菩薩。 橋立真言宗(単立)。 1人の僧が雪深い山の草庵に篭って修業中深雪のため,里人の来住もなく食糧も絶え何一つ食べる物もなくなり, 餓死寸前となり,死を予感した憎は「今日一日生きる食物をお恵み下さい」と本尊に祈った。すると夢ともうつつとも 判らぬ中で堂の外に狼のため傷ついた鹿が倒れているのに気付いた,僧として,肉食の禁戒を破ることに思い悩んだが 命に変えられず,決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べた。やがて雪も消え里人達が登って来て,堂内を見ると 本尊の腿が切り取られ鍋の中に木屑が散っていた。それを知らされた僧は観昔様が身代リとなって助けてくれたことを 悟り,木屑を拾って腿につけると元の通りになった。これよりこの寺を成合(相)と名付けた。もとは本堂は現在より 山の上に建てられていたが,山崩れのため現在地へ移転,現本堂は安3年(1774)の建築。古式に則り,5間4方の入母屋造, 正面を千鳥破風・軒唐破風で飾っており,堂内のお厨子に安置された本尊の木造聖観世音菩薩は平安期のもの。 西国第28番札所。 |
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2016年10月22日 | ||
本 堂
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鉄湯船
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一言一言地蔵
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孔雀明王像![]() |
閻魔大王像
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展望台より天橋立
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2016年10月04日 | ||
本 堂
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巡礼堂
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左甚五郎作「眞向きの龍」
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五重塔 | ||
十王堂
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撞かずの鐘![]() |
境内より
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天橋立
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2015年6月19日 | ||
撞かずの鐘![]() |
巡礼堂
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一願一言の地蔵
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本 堂
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左甚五郎作「眞向きの龍」
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十王堂
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紫陽花 | 鉄湯船 | |
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五重塔 |
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境内より天橋立
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2010年3月08日 | ||
2009年7月15日 | ||
2009年4月02日 | ||
成相寺の境内より天橋立 | 鉄湯船 | |
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当山の湯屋にて湯船として使用していたもので,直接入るのではなく湯釜で沸かした湯を入れ, かかり湯をするために用いられたと思われる。後に薬湯を沸かして怪我や病気の人を治療したとも伝えられている。 |
2008年10月12日 | ||
本 堂 | 一願一言の地蔵 | 巡礼堂 |
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閻魔堂 | ||
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撞かずの鐘![]() |
慶長14年(1609),山主賢長は古い梵鐘に変え新しいのを鋳造するため,近郊近在に 浄財を求め喜捨を募った。1回・2回と失敗し,3回目の寄進を募ったとき,裕福そうな女房が「子供はたくさんおるが お寺へ寄付するお金はない」と厳しい眼で断った。やがて鐘鋳造の日,大勢の人の中に例の女房も乳呑み児を抱いて 見物していた。そして銅湯となったルツボの中に誤って乳飲み子を落としてしまった。このような悲劇を秘めてできた 鐘を撞くと山々に美しい音色を響かせていた。しかし,耳を澄ますと子供の泣き声,母親を呼ぶ声,聞いている人々は あまりの哀れさに子供の成仏を願って,一切この鐘を撞くことをやめ,「撞かずの鐘」となった。 |
成相寺鎮守堂 | 書 院 | |
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鉄湯船 | ||
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