第13番札所・阿蘇山 西巌殿寺

熊本県阿蘇市黒川1114

本尊・十一面観世音菩薩
天台宗。  寺の由緒によると,開基には2説ある。寺院が採る神亀3年(726)説は,天竺毘舎衛国から渡来した僧・最栄が聖武天皇の 勅願を受け,阿蘇山上に上り阿蘇明神・建磐龍命を感得したとするものである。天養元年(1144)説は,比叡山の慈恵大師良源の 弟子・最栄が阿蘇神社大宮司友孝の許しを得て,阿蘇山上に上ったとする説。どちらの説にも共通するのは,阿蘇山の火口の 西の巌殿に十一面観音菩薩を安置して庵(山上本堂)を開き,絶えず法華経を読誦したため「最栄読師」と呼ばれたとするものである。 阿蘇山上に最栄が庵を開いてから,多くの修行僧・修験者が阿蘇山上に集まった。それらの人々は現在の旧阿蘇山スキー場 一帯の牧野に当たる地に坊舎を建て,厳しい環境の中で修行に励んだ。その数は36坊52庵といわれる。西巌殿寺とは,本堂に 加えこれら坊や庵を加えた総称である。しかし,この本堂や古坊中は,天正年間(1573?92)に島津と大友の戦乱時に軍勢に よって焼き払われてしまい,豊臣秀吉の九州統一時には宗徒や行者なども寺を去ったと伝わる。これを再興させたのが, 肥後に入部した加藤清正。各地に散った僧侶たちを呼び戻し,山上本堂を修復するとともに麓の黒川村(現在の阿蘇市黒川)に 36坊を復興。この黒川の坊は「麓坊中」と呼ばれ,地名も「坊中」と改められた。これに対応して,阿蘇山上の坊舎跡は 「古坊中」と名称が改められた。さらに寺領も附されるなど,熊本藩の庇護は細川家時代になっても続いた。この再興には 長善坊契雅という法師の尽力が功を奏したともいわれる。江戸時代には「阿蘇講」と呼ばれる観光・修験道体験が行われたり 「牛王法印」の札販売などで賑わった。明治政府が発した神仏分離令によって,西巌殿寺は廃寺が決まり,ほとんどの僧侶は 還俗した。しかし,明治4年(1871)に山上本堂を麓坊中のひとつ学頭坊に移し,明治7年(1874)には学頭坊を西巌殿寺(麓本堂)と することで法灯を継承。明治23年(1890)には古跡保存のために山上本堂(奥の院)を再建。平成13年(2001)9月22日午後8時40分頃, 不審火により麓本堂が焼失する事件が起きたが,僧坊などに保存された貴重な文化財とともに信仰を継承している。

2012年3月14日
焼失した本堂へ登る階段
山 門 本坊(仮本堂)--焼失後,本坊でお祀りしている

庭 園