第20番札所・仁比山 地蔵院

佐賀県神崎氏神埼町的1688

本尊・千手千眼観世音菩薩
天台宗。  寺の由緒によると,天平宝字元年(757),聖武天皇の勅願により行基が草創したという。かつて仁比山には36坊があり, それらを総称して仁比山護国寺と称した。地蔵院は仁比山護国寺の塔頭・不動院の子院で,もとは現在の九年庵の位置に あった。奈良時代に仁聞菩薩が訪れたとの伝承もある。承和11年(834),唐より帰朝した円仁(慈覚大師)は,この仁比山で 一千座の護摩を修めた。修法のため承和11年円仁は閼伽井を堀り承和11年明星水と名付け,その時,土の中から日吉宮と 書かれた額を掘り出し,天皇に奏上。仁明天皇の「仁」と比叡山の「比」とを合わせて「仁比山護国寺」の称号を賜ったと いう。仁比山護国寺は明治以前まで仁比山神社の神宮寺であり,不動院は日吉神社ともよばれたこの神社の別当職も兼ねて いた。戦国時代には数々の兵火にかかり,永禄12年(1569),大友宗麟の兵により焼失。以後,江戸時代になって鍋島藩藩祖・ 直茂,初代藩主勝茂により,地蔵院は不動院とともに再興。明治維新後,神仏分離で36坊は次々と廃寺になり,地蔵院のみが 存続した。実業家・伊丹弥太郎の案により吉祥院の跡地と交換することとなり,地蔵院は吉祥院跡に移り,伊丹弥太郎は 現・九年庵の敷地(旧地蔵院跡)に9年かけて別邸を築造。現在,護国寺の旧本尊・千手千眼観世音菩薩や不動院の不動明王は 地蔵院に安置されている。

2012年5月7日



2012年3月11日
仁王門 本 堂 本尊・千手千眼観世音菩薩像

六地蔵塔
六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)における死後の救済を求めて作られたもの
鐘 楼 地蔵菩薩像

水掛地蔵菩薩尊