金勝山慈眼寺 浄厳院

滋賀県蒲生郡安土町慈恩寺744

本尊・阿弥陀如来。
 浄土宗。  寺伝によると,正平年間(1346-70),近江守護佐々木六角氏の佐々木氏頼より建立された天台宗寺院の慈恩寺威徳院が あった。慈恩寺はその後兵火により焼失。天正5年(1577),織田信長は近江国栗太郡金勝山(現・滋賀県栗東市)の浄土宗の僧・浄厳坊明感を 安土に招いた。信長は慈恩寺の旧地に一寺を開き,明感を開山として浄土宗に改め浄厳院と名乗った。 信長は,浄厳院の本堂,本尊などを他所から移してきた。すなわち,本堂は多賀村(現・近江八幡市)の 興隆寺の弥勒堂を移したものであり,本尊・阿弥陀如来坐像は愛知郡から移したものであった。
 天正7年(1579)5月には,信長の命により浄土宗と日蓮宗の僧による仏教論争(いわゆる安土宗論)が 当寺で行われたことで知られる。裁定の結果,宗論は日蓮宗の敗北と決したが,この裁定の背後には 信長の強い政治的意思があったといわれている。

2010年1月17日
仁王門(楼門)

本堂(阿弥陀堂) 鐘 楼