金勝山 金勝寺

滋賀県栗東市荒張1394

本尊・釈迦如来
 天台宗。  寺伝によると,栗東市の南方,金勝山(こんぜやま)の山中にある。金勝山は単独の峰ではなく,竜王山(605m),鶏冠山(491m) などの山系を指す名称で,東北方に位置する阿星山,東方に位置する飯道山とともに,金粛菩薩(こんしょうぼさつ)の霊地と されている。金粛菩薩とは東大寺の開山・初代別当とされる良弁のことで,この地域には他にも長寿寺・常楽寺などの金粛菩薩 (良弁)開基を伝える寺院群がある。金勝寺の開基も金粛菩薩とされ,往時は山中に36坊,付近に25別院を有する,湖南地方の 仏教の中心寺院であった。現在も近隣には金勝寺25別院の一であったとされる寺院が点在する。また,金勝寺の西方の山中には 平安時代初期の作とされる狛坂磨崖仏(国の史跡)があり,この地域の仏教文化の歴史の古さがわかる。金勝寺は初期には法相宗 系の寺院であったが,近江地方は比叡山が存在する関係で天台宗の勢力が強く,この寺も平安時代後期頃から天台系となり, 現在は天台宗毘沙門堂門跡(京都市山科区)の末寺となっている。
 天平5年(733),聖武天皇の命により,紫香楽宮の 鬼門鎮護のため良弁が創建。創建については,他の伝えもある。中世の記録である『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年・1441)に よると,この寺は天武天皇の白鳳元年(672),役小角(役行者)の修行した霊跡であり,養老元年(717年),金粛菩薩が開基。 平城京の鬼門(北東)を守る寺となったという。一方,寛平9年(897)6月23日の太政官符(『類聚三代格』所収)によると, 金勝寺は金粛菩薩の霊地であり,ここで修行していた興福寺の伝燈大法師位願安が弘仁年中(810-24),国家のために伽藍を 建立。その後,承和聖帝(仁明天皇,在位833-50)の時に勅額を賜って金勝寺と号したという。仁明天皇の治世の歴史を記した 『続日本後紀』によれば,天長10年(833)「金勝山大菩提寺」が定額寺(官寺に準ずる国家公認の寺院)に列せられている。 寛平9年(897)には前述の太政官符により金勝寺に年分度者(国家から年間に許可される得度者数)2名が許可されている。
  建武2年(1335)には後醍醐天皇の綸旨により同天皇の祈願所となっている。前述の『興福寺官務牒疏』によると,往時は山上に 36坊を数えたというが,天文18年(1549)の火災で焼失し衰退。その後再建され,近世には徳川家康が30石を与えているが往時の 規模を取り戻すことはなかった。

2014年10月11日
 

参 道 拡大 仁王像(吽形) 拡大 仁王像(阿形) 拡大

仁王門 拡大 二月堂 拡大 軍荼利明王立像(10c・像高3.6m) 拡大

本 堂 拡大 本尊・釈迦如来坐像 拡大 拡大

不動明王立像(14c・旧山口寺) 拡大 良弁僧正坐像・願安坐像(16c) 拡大 馬頭観音立像 拡大


虚空蔵堂 拡大
虚空蔵菩薩半跏像(10c)
脇侍(毘沙門天像・地蔵菩薩像) 拡大

近くにある県民の森 拡大