比叡山 延暦寺

滋賀県大津市坂本本町4220

本尊・薬師如来像
 天台宗総本山。  延暦4年(785),東大寺で受戒した最澄が世俗を離れて比叡山に入り,延暦7年(788),草庵・一乗止観院を結んだのが 始まり,やがて都が平安京へと移されると,桓武天皇が最澄を支援。草庵は比叡山寺という大寺へと発展。 官寺に準じる存在となり,最澄は国家鎮護のための六所宝塔建立を発願。やがて現在も伽藍名として残る東塔と西塔が完成した。 さらに第3世座主・円仁のころに横川も加えられ,現在の三塔の伽藍が形成された。
 弘仁13年(82)に最澄が入滅すると, 調停は生前に最澄が発願していた戒壇の設立を許可。さらに創建が延暦年間だったことから延暦寺の寺号を与えられる。
 しかし円仁とともに天台密教を支えた第5世座主・円珍が入滅すると,延暦寺は多くの堂宇を焼失し, 僧侶の風紀も乱れていった。それを立て直したのが第18世座主・良源である。良源は堂宇の再興のほか,国家公認の 学力試験である広学堅義を開いた。その後は浄土念仏の祖・恵心僧都源信をはじめ,浄土宗の法然,浄土真宗の親鸞, 曹洞宗の道元,日蓮宗の親鸞らが修行した。
 戦国時代になると織田信長は近江国の浅井長政を征伐するために 延暦寺に協力を要請するが,延暦寺は有力な支援者である浅井長政側についた。すると元亀2年(1571)9月2日,信長は 延暦寺を焼き払う。一山灰燼と化した延暦寺であったが豊臣秀吉や江戸幕府の保護を受け,蘇る。平成6年(1994) ユネスコの世界遺産に登録された。

2014年11月23日 横川の「紅葉まつり」

比叡山よりの眺望 拡大 琵琶湖の対岸 拡大 横川中堂 拡大

鐘 楼 拡大 元三大師堂山門 拡大 元三大師本堂 拡大



2006年8月16,17日
東塔 比叡山延暦寺の総本堂根本中堂があり,ご本尊秘仏・薬師如来をまつる宝前に 1200年間守り継がれた「不滅の法灯」が光り輝く。その他それぞれの一宗を開祖した祖師像が安置されている大講堂をはじめ, 戒壇院,文殊楼,法華総持院,阿弥陀堂があり,また,天台の各宝物が収蔵展示されている国宝殿がある。

根本中堂--延暦7年(788),最澄が比叡山に始めて鎮護国家の道場として建立されたのが根本中堂の始まりで 比叡山の総本堂。現在の建物は寛永19年(4642),徳川家光により再建された。外陣と本尊は同じ高さで,内陣は3mほど低くなっており, 僧侶たちは本尊を仰ぎ見てお勤めをする。

文殊楼(常座一行三昧堂)--総門にあたり, 最澄の弟子第3世座主・円仁(慈覚大師)が修行道場として創建。寛文8年(1668)に焼失し, その直後に再建。楼上に祀られた文殊菩薩は「智恵の文殊」として崇められている。 戒壇院--大乗戒(規律)を受けるお堂, 最澄入滅後7日目に勅許を受け,天長5年(828)第1世義真座主により創建。内陣に得戒和尚・ 釈迦牟尼仏,文殊・弥勒量菩薩が祀られ,年1度授戒会が行われる。 鐘 楼

大講堂--本尊・大日如来。僧侶が法華経の講義を聞いたり, お互いに問答をして勉強する学問修業の道場。また,比叡山で修行して一宗の開祖となられた 法然・親鸞・栄西・道元・日蓮などの等身大の損像を安置。昭和31年(1956)に焼失し,昭和39年(1964) に比叡山麓坂本にあった寛永11年(1634)築の讃仏堂を移築。

法華総持院・東塔 法華総持院・阿弥陀堂--本尊・阿弥陀如来, 昭和13年(1937)に開創1,150年大法要を記念して建立,ここは滅罪回向の場で,参拝者が施主になって 日々念仏回向が行われている。
--最澄は日本全国6ヵ所の聖地に宝塔を建立,それらを総括する。信長の焼き討ちから400年ぶりに 昭和になって再建。



西塔 山上で最も古いお堂で,天台建築様式の代表とされる 荘厳な釈迦堂をはじめ伝教大師の御廟である浄土院や「弁慶のにない堂」と呼ばれる常行堂・ 法華堂,法然上人の修行の旧跡地青龍寺,座禅止観が体験できる居士林がある。

にない堂--常行堂と法華堂が渡り廊下で つながっている,比叡山の僧兵であった弁慶が渡り廊下を肩に掛け,天秤のように両堂を担いだ という逸話から,両堂合わせて「弁慶のにない堂」とも呼ばれている。
常行堂--念仏を唱え続ける常行三昧の修行が行われる。 法華堂--座禅を続ける常坐三昧の修行が行われる。

西塔政所
釈迦堂--本尊・釈迦如来(最澄自作), 信長の焼き討ちにより焼失,秀吉によって三井寺(園城寺)の金堂を移築。 鎌倉時代の創建とされ,山内最古の建物。

浄土院(伝教大師の御廟)
--伝教大師は弘仁13年(822)6月4日中動院にて56歳で入寂され,弟子の円仁(慈覚大師)が 仁寿4年(854)7月にこの地に中国五台山竹林院を模して廟所を建立,廟を守る僧侶を侍真といい, 一生山を降りない覚悟で昼夜を分かたず厳しい戒律のもとに身心を清浄にして仕えている。 廟前には沙羅双樹と菩提樹が植えられ極楽浄土の雰囲気をかもし出している。
 侍真は早暁より薄暮まで勤行と掃除,勉学修行に励んで12年間山を降りない籠山修行の 内規にのっとって生活している。

仏足石 惠亮堂--本尊・惠亮和尚(800-859), 京都の妙法院を創建した人。 椿堂--本尊・千住観世音菩薩, 聖徳太子が比叡山に登られたとき,使用していた椿の杖をこの地にさして おかれたところその椿が眼を出して大きく育ったところから。

山王院堂(法華鎮護山王院)-- 本尊・千住観世音菩薩,第6世智証大師円珍の住房で後唐院ともいい,円珍没後100年円珍はと 円仁派の学僧に紛争が起こり,円珍派は円珍の木像を背負って三井寺へ移住したといわれる。 比叡山の煙雨



横川 比叡山の一番北に位置し,ひとしお霊峰の感のする横川は 平安の昔から今に至るまで多くの文学作品の舞台となっている。この地を開いた慈覚大師円仁も 日本人初の旅行記「入唐求法巡礼行記」を著わすなど気風に満ちた修行場,朱の色も鮮やかな横川中堂 ,四季に法華経を議論することから四季講堂(元三大師堂)や妙法写経を納めている根本如法塔などがある。

横川中堂--本尊・聖観音立像,慶長9年(1604)に 建立,昭和17年(1942)に落雷で焼失,昭和46年(1971)に最澄1150年大遠忌を記念して再建。

虚子の塔--虚子は比叡山に登り「叡山詣」を書き, その横川中堂の政所一念寺に泊まり「風流懺法」を書いた。昭和28年(1953)10月に逆修爪髪塔として 供養塔が建立された。 赤山宮--慈覚大師円仁が入唐留学のとき赤山において, 新羅明神を留学中仏法研究の守護神として受持し,その功徳によって無事終えたので帰国後この地に祀る。

元三大師堂(四季講堂)--本尊・元三大師像, 古くは定心房と呼ばれ,比叡山中興の祖・元三慈恵大師の住居跡,四季に法華経を論議することが 始められて以来,四季講堂と呼ばれるようになる。

筆塚弁財天 恵心院--恵心僧都の旧跡, 藤原兼家が元三慈恵大師のために建立。



無動寺谷--東塔の中心より南にあり南山とも呼ばれ, 白蛇出現の霊地といわれ,毎年9月に「巳成金」の大祭が行われる弁天堂,不動明王を祀る明王堂などがある。

明王堂--本尊・不動明王。 大乗院--親鸞聖人修行の地。