14番札所・神護山 崇福寺

岐阜県岐阜市長良福光2403-1

本尊・聖観世音菩薩(秘仏)
臨済宗妙心寺派。  寺伝によると,明徳元年(1390)に檀越土岐満康が太白真玄を開山に招き大寿山崇福寺を建立。100有余年の間に衰退の道を 辿り,廃寺同然になっていたのを斉藤利匡が整備し,神護山崇福弘済禅寺と改称。開山は悟渓宗頓の法嗣,独秀乾才を招請。 独秀門派は最盛期には1000ヶ寺を超えるほどであった。独秀乾才禅師は京都大徳寺第66世,妙心寺や瑞龍寺にも住し, 永正11年(1514)示寂。2世は仁岫宗寿で後に妙心寺27世となる。三世は快川国師で,別伝事件で活躍。最後は,甲斐の 慧林寺山門で衆僧100余名と共に,織田信忠に焼き殺される。その時の遺偈「安禅は必ずしも山水をもちいず,心頭を 滅却すれば,火自ずから涼し」は有名である。第4世柏堂景森は「岐阜」の命名者ではないかといわれている。第6世 一宙東黙,第7世慶甫玄賀,第8世物堂宗接など名僧が排出している。当山は,織田信長・信忠親子の菩提所となり, 本堂裏庭に墓所がある。江戸時代に入ると,徳川の朱印地(32石)に指定されている。同じく江戸時代には,有栖川宮家の 祈願所となり,昭和7年(1932)11月には,有栖川宮家最後の息女・實枝子女王(徳川御後室)が当山に御成になられ,位牌に 新たな戒名などを記されている。当山19世義勇和尚の内室は,有栖川宮家の養女であり,宮家とは因縁が深い。

2010年4月15日
山 門 本 堂 鐘楼(稲葉一鉄寄贈の梵鐘)