16番札所・如意山 願成寺

岐阜県岐阜市大洞1-21-2

本尊・十一面観世音菩薩(秘仏)
真言宗智山派。  寺伝によると,弘文元年(672)に起こった壬申の乱で功績をあげた美濃の豪族・村国男依が天武天皇より賜わった高句麗 伝来の観音小像と仏舎利を芥見の里に堂宇を建てて安置,山間堂と呼んだ。養老5年(721),越前の国から泰澄という高僧が 訪れ,山間堂を現在の願成寺のある場所に移して寺を建て,大洞山清水寺と称した。聖武天皇のとき,大仏の鋳造が 計画されたとき,鋳造の技術を持った仏師を探し出すよう命ぜられた役人が,大洞山清水寺(願成寺)を訪れて参籠し, 観世音菩薩に祈りを捧げたところ,夢に観世音菩薩が現れて,日野金丸という仏師を探し出すことができた。やがて大仏が 完成し,天皇は大変感謝なさって,大洞山清水寺に,改めて「如意山願成寺」という勅号を下さり,1mほどの十一面観音像を 造って,今まで祀っていた観音小像と仏舎利をその胎内に収め,これを本尊として七堂伽藍を造営した。弘仁5年(814), 弘法大師が関東の方へ行く途中に願成寺に立ち寄る。しばらく滞在の間に,金剛界大日如来像とご自身の像を作って, 寺に納めた。その後,何度かの盛衰を繰り返し,室町時代になると,幸いに土岐美濃守の祈願所となり,土岐政房が舎弟 長山左京の子・長山太郎の家臣である桜井一角に寺の復興を命じ,やがて昔日の繁栄を取り戻した。永禄10年(1567), 織田信長が稲葉山城を攻めたとき,戦に負けた斉藤竜興の兵隊の一部が願成寺に逃げ込んだため,それを取り囲んだ信長の 軍隊に焼かれて,寺は本堂一つを残して七堂伽藍も下寺の12坊も全部が灰塵と化した。信長の焼き討ち後,しばらく住む 僧も無く,寺は荒れるに任せていたが,承応年中(1653)頃,下有知(第24番霊場)の神光寺という寺の僧・宥遍上人が来て 寺を再興。この宥遍上人が願成寺の中興の祖で,現願成寺の初代の住職とされている。元禄2年(1689),第2世の時, 願成寺は新義真言宗智山派の寺となった。

2010年4月15日
山 門 本 堂 鐘 楼

馬頭観音
馬頭観音堂 歓喜天堂

中将姫誓願桜