紀三井山 金剛宝寺護国院

和歌山県和歌山市紀三井寺1201

本尊・十一面観世音菩薩・千手観世音菩薩
救世観音宗総本山。  宝亀元年(770),唐僧・為光上人によって開基。そして諸国を巡り,観音様の慈悲の光によって, 人々の苦悩を救わんがため,仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。  上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地なりとお歓びになり、十一面観世音菩薩像を、自ら一刀三札のもとに刻み、一字を建立して安置されました。それが紀三井寺の起こりとされています。  その後、歴代天皇の御幸があり、また後白河法皇が当山を勅願所と定められて以後隆盛を極め、鎌倉時代には止住する僧侶も五百人を越えたと伝えられています。江戸時代に入ると、紀州徳川家歴代藩主が頻繁に来山され、「紀州祈祷大道場」として尊這崇されました。

2009年11月16日
大師堂 境内より新和歌の浦を望む



2009年7月29日
2008年10月19日 西国33所結縁総秘仏本尊ご開帳(花山法王1000年御遠忌)
2005年8月19日
楼門(西国33ヶ所後本尊を祀る) 本 堂 身代わり賓頭盧尊者

春子稲荷
 天正13年(1585),織田信長・羽柴秀吉による紀州征伐6万の大軍は 根来寺・粉河寺を焼き討ちにし,紀三井寺に迫った。その頃観音堂に使えていた春子という 20歳くらいの美女が突然須弥壇の中から白狐の姿となり,身を翻して敵の軍営に赴き, 霊力を持って武将を威服し,先鋒の将・羽柴秀長から「焼き討ち禁制」の書状を得て, 紀三井寺および在所を戦火から救った。人々は危難除け春子稲荷としてここに祀った。

多宝塔 太子堂

鐘 楼
六角堂 観音堂