箭久稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)

埼玉県東松山市箭弓町2-5-14

 祭神・保食神(うけもちのかみ)「宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)・ 豊受比賣神(とようけひめのかみ)」
 縁起によると,和銅5年(712)と伝へられ,規模の大きさ,社殿の荘厳さとご霊験のあらたかさで, 大勢の方々の信仰を集めています。平安時代の中頃,下総の国(千葉県と茨城県の一部)の 城主・平忠常が謀反を起こし,またたく間に近隣諸国を切り従へ,ついにその威を関八州にふるい, 大群をもって武蔵の国(埼玉県と東京都・神奈川県の一部)川越まで押し寄せてきました。 朝廷は武門の誉れ高き武将源頼信を忠常追討の任に当たらせ,当地野久ヶ原に本陣を張り, 頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ,明け行く空に箭(矢)の形をした白雲が にわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行った。頼信はこれぞ神のご加護と奮いたち, 自ら先頭に立ち敵陣に攻め入ると,ふいを突かれた忠常軍はあわてふためき,一旦は後退したものの すぐに盛り返し,3日3晩にわたる激戦も神を信じ戦う頼信軍が勝利した。 帰陣した頼信は, ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると,この勝利はご神威,ご神徳によるものだとして, 社殿の建て替えを寄進するとともに,野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じた。

2009年5月31日
一の鳥居 二の鳥居 拝 殿